お葬式

 何度も我が家へ遊びに来ていた母の姉が亡くなり、8日に家族葬が行われた。

 朝6時半に母を乗せてA45で出発、国道155などを通って小牧ICから東名道に入る。朝早い時間だからか、交通量は少ない。まだ8時前だというのに、メーターパネルに表示される気温は既に30度を超えている。車内に射し込む陽射しが暑い。
 豊田JCTから第二東名へと進むと、こちらは交通量がかなり多くて巡航速度が遅い。最高速が120㎞/hの区間に入っても追越車線で100km/hに届かない。高齢の母は静岡県に入る少し手前から鼾をかき始めた。御殿場で東名道に合流した頃に目を覚ます。

 途中で珍しくパトカーに捕まっている乗用車を見かけた。一体どういう走りをしていたんだろうねぇ?
 2時間以上走りっ放しなので、足柄SAに入って一寸休憩する。
足柄SA
このSAを利用したのは初めてだ。体を少しほぐしたら走り出す。

 相変わらず交通量は多い。海老名JCTで第二東海道へ、海老名南JCTでさがみ縦貫道へ、茅ケ崎JCTで新湘南バイパスへと進む。茅ケ崎料金所を抜けて藤沢市街地に入る。A45のナビはデータ更新されていない為、一寸道に迷いながらもなんとか目的地の葬儀場に到着。
葬儀場
藤沢市へ車で来るのはほぼ20年振り。以前は縦貫道もバイパスも無かったから厚木ICで降りて国道を延々と2時間近く走ったっけ。
 JR駅も含めて鄙びた街並みは完全に消失して背の高いビルだらけ、一体何処をどう走っているのか判らなくなってしまうほどだった。スマホのナビがあったから何とか辿り着けたが、地図だけだったら思いっ切り迷ったと思う。
 我々の到着から30分ほどしたら三河地方に住む親類が到着。話を聞いたら自宅を出たのは我々と同じ6時半で、電車を乗り継いで来たと言う。距離的には我が家の方が圧倒的に遠いんだけど、電車と違って車だと待ち時間が無い分早いのかも知れない。
 祭壇には生前の写真や愛用していた楽譜などが飾られた。楽譜はAve Maria(アヴェ・マリア)である。
Abe Mariaの楽譜
この写真は発表会の時の物で、亡くなった姉が20代の頃のもの。
発表会の写真
中央が亡くなった姉(三女)、ピアノを弾いているのも姉(四女・故人)、右で歌っているのは妹(六女・故人)である。

 葬儀は無宗教の形式で、開会したら生前の様子の口述後にご焼香となり、それが全員済んだら棺桶に壇上のお花全てを入れて蓋をしたら閉会。読経も説教も無く、シンプルでさっぱりしたものだった。
# こーゆーの、楽ちんで良いよ、うん。
 その後は焼き場へ。

 焼き場は葬儀場から車で15分ほど離れた場所で、そこへの足は各自確保という事だった。霊柩車は二名まで乗車可能だったので親類二人はそちらへ、拙者と母と乗り切れなかった親類をA45に乗せて、霊柩車を追走した。首都圏に近い場所だけあって、車の量が凄い。大した距離じゃないのに、異様に時間が掛かる。
 会場に着いたら棺桶を運び入れ、焼き上がるのを待つ間に昼食となる。車で来ているので、ノンアルコールビールを飲んだ。
葬儀の昼食
食後親類と雑談していたらお骨上げの館内放送が入ったので、指定された場所へ歩いて向かう。
 全員でお骨を拾って骨壺に収めたら、本日の葬儀は全て終了。ここで解散となった。

 ナビを見ながら来た道を戻り、茅ケ崎料金所から新湘南バイパスへと進む。ここまで来ればナビは不要、急ぐ必要もないので車の流れに沿って朝来た道を戻る。途中、休憩のために藤枝PAに立ち寄る。
藤枝PA
母が幼少の頃ここに住んでいた時期があったそうだけど、街はもっと海沿いの方でこのPA周辺の景色は見た事が無いらしい。ここで家族用にお土産を買う。
家族用のお土産
乳化剤が使われているものは妻が食べられない為、選べるのはこの二品しか無かった。(汗)
 休憩が済んだら走り出す。

 新東名道は交通量がとても多くて、追越車線でも100km/h以下。そのままの状態で豊田JCTまで進む。JCTで東名道に入り、小牧ICで降りて国道155などを進み、自宅近くのスタンドで給油、自宅へは18時半少し前に無事到着。ほぼ丸一日掛かった。走行距離は658.9km、燃費は12.9km/L。

 母は6人姉妹の5番目で、姉妹の中で生き残った最後の一人となった。
 今回亡くなった姉は98歳、母がその年齢に達するまでまだ5年ほどあるとは言え、高齢である事には変わりはないので日々注意していこうと思う。

この記事へのコメント

  • tama

    おじ、おばが一人また一人と亡くなっていくのは寂しい限りですね。お悔やみ申し上げます。
    父も母もきょうだいがたくさんいました。父方は8人中存命は1人、母方は6人中2人が何とか生きています。子どものころはおじ・おばからお年玉をもらうのが楽しみでした。
    立ち止まってふと振り返れば、自分の余生を数える年になりました。
    2024年09月14日 11:05
  • ぼんぼちぼちぼち

    お母様のお姉さま、なんと98才でやしたか!
    ご長寿さんでいらしたのでやすね!
    お写真拝見して、やりたいことを楽しまれた人生だったと想像しやした。
    無宗教葬、いいでやすね、あっしもそうしてほしいでやす。
    2024年09月14日 15:57
  • Rifle

    tamaさん
    お心遣い有難う御座います。
    知る人が次々と鬼籍入りするという事は、それだけ自分も歳喰ったって事ですね。
    同年代の従兄が「エンディングノートを今書いている」と言ったのには驚きましたけど、そういう事も自分もそろそろ?とも思います。

    ぼんぼちぼちぼちさん
    母方の姉妹は不思議と皆長生きでした。クラシック音楽一家だった為に生活には苦労したそうですが、自分の選んだ道ですから後悔は無かったでしょう。
    無宗教だとお坊さんや神主さんとかを気にしなくて済むので本当に楽でした。
    2024年09月14日 18:41
  • シトロン

    うちもついこの間父を送ったばかりですが
    やはり自分がこの年代になってくるとそういうことが多くなりますね。お悔やみ申し上げます。
    それにしても無宗教葬いいですね。父の時もそれでよかったなあ。
    仏壇もない家ですし…。

    それにしても藤沢への道のりがまるで岐阜-名古屋間くらいの感覚だあ。
    2024年09月14日 22:57
  • Rifle

    シトロンさん
    お心遣い有難う御座います。
    無宗教葬は余計な気を遣わなくても済むし、本当に楽でした。
    片道330km弱で、車のツーリングで行く能生ICに比べればまだ近いです。
    周りからは「距離感覚おかしいんじゃない?」と言われますけど。(笑)
    2024年09月15日 17:34