代車エッセに妻・母と共に乗り込んで自宅を7時に出発。県道183・県道64と進む。交通量はそんなに多くない。時折小雨が降ったり止んだりしている。
中央道を使えば時間短縮になるのだけれど、生憎二ヶ所で工事中な為、下道を進んだ方が早い。国道41・県道349・国道21と進んで国道19に入る。
通勤時間帯の国道19は流石に交通量が多いが、土曜だからなのか渋滞する程ではないのは有難い。
落合川を渡ると一気に交通量が減るのは毎度おなじみである。しばらく走っていたら段々と腰が痛くなってきたので、道の駅大桑に入って休憩する。

周囲の山は色付いているけれど、夏が暑過ぎたようで茶色になってしまっている。

少し体をほぐしてから、再び走り出す。
そのまま国道19を40分ほど北上して目的地「義仲メモリアルパーク」に到着。
管理棟で手続きをして、樹木葬にして貰った。埋葬作業中は雪が舞い、風で風鈴が鳴り響いていた。

一見庭園風だけど、墓石が無いだけでちゃんとした墓地である。よく見ると、埋めた所が四角になっている。

納骨の作業は30分ほどで終わった。埋葬が終わる頃には雪も風も止んでいた。
対応して頂いた職員さんと少しお話したら、今時は滅茶苦茶というか、法律上の制限が無いのを良い事にしてえげつない事が当たり前に起きているらしい。
例えば、あるお寺の檀家が墓仕舞いしようとしたら、手数料と言う名目の手切れ金を五百万円要求されてお坊さんと大喧嘩になったとか、お寺のお墓への納骨だけで五十万から百万円要求されたとか・・・そりゃーお寺と縁を切りたくなって当然だと思う。
因みに、拙者の亡き父は昭和初期の世代にはそれなりに名前を知られたお寺(既に廃寺になっている)の出身なので、ある程度お寺の内情は知っている積もりだ。
しかし、それも昭和の頃の話で、現代とは金額が文字通り「桁違い」で、話を聞いた拙者も口あんぐり、である。(滝汗)
納骨を済ませたら「木々に花が咲く春になったらお参りに来よう」と話しながら帰途に就いた。
姉の母は子供が居らず、旦那に先立たれて以来30年以上ずーっと一人暮らしをしていた。
90歳を超えても一人で関東から電車バスを乗り継いで我が家に年に何度も遊びに来ていたので、我が家からすれば家族同然だった。
中国武漢ウィルス(コロナウイルス)が蔓延する直前に来宅したのが最後になったが、その時「もう自分一人でこちらに伺うのが難しくなってきたから、今回が最後」と言っていた。事前に新幹線の切符を予約したり、出発の日に合わせて冷蔵庫内の食料を調整したりするのが億劫になってきた、というのがその理由だった。今から思えば、この時点である程度認知症が進んでいたのでは?と思う。
その後認知症の症状が徐々に進み、買い物に出たものの自宅へ帰れなくなってしまって自宅のある団地の敷地内をグルグル歩き回って探したとか、階段から降りようとして転んでしまい、救急車で搬送されて入院したた為に自宅に戻らず大騒ぎになったり、と色々な事件(?)が起きるようになった。
心配なので妻にお見舞いがてら様子を見に行って貰ったら、母の姉本人は「大丈夫よ!」と言うし、おかしな事は何も無かったのだけれど、周囲の住人から色んな話を聞かされて驚いたという。
その直後も一寸した事件(???)が連続して起きるようになって「ここまま放置する訳にはいかない」と、母の姉妹達が相談して最寄りの施設に入所させたのであった。
その直後にコロナ蔓延で施設側が「面会謝絶」とした為、会うに会えない状態が続いた。
コロナ中はずーっと面会できず、「面会が解禁になったら会いに行こう」と家族で話していた。
さて、面会解禁となったら今度は我々家族がコロナに次々と感染してしまい、更に母が入院。そのお陰で一ヶ月以上身動きの取れない期間が続いてしまった。
その後母がやっとこさ退院してきたので、片道5時間半のドライブに耐えられる位に回復するのを待ってお見舞いに行こうとした矢先、「施設内で亡くなった」と言う電話が入ってきて、家族全員ガッカリ・・・。
そんな訳で、母の姉に対しては明るくて元気な頃のイメージしか残っていない。
けれど、今になって思えば、それはそれで良かったのかも知れない。
この記事へのコメント
kenji-s
nice!です
Rifle
早速のご来訪有難う御座います。
今迄と同じように更新していく積もりですので、今後とも宜しくお願い致します。m(_"_)m
黒顔羊
いつもと勝手が違って大変でしたでしょうね。
田舎のお寺は暴利をむさぼってますよ。
払えない人にはローンで払えって言うらしいですよ。
相方の実家がそれもんでしたので、縁を切りました。
Rifle
軽自動車で高速道を走るのは「修行」ですねー。(笑)
江戸時代中期にお寺同士の競争の激しさを見るに見かねて江戸幕府が作った檀家制度ですが、今では制度の上に胡坐をかいたお寺ばかりになってしまいましたねぇ。何しろ、説教すらまともにできないお坊さんが居る位ですから。(汗)
いっぷく
私のところは、父方祖父母の祭祀承継をめぐって見苦しい押し付け合いです。
Rifle
そうなんですよ。母の姉の意思を無視して周囲が勝手に色々進めた為、最期はボケた状態になっていたみたいです。
祭祀財産はお守りが大変ですから、今どき誰だって背負いたくないでしょうし。